起業家精神を育む企業文化
米国の百貨店ノードストロームは、常に顧客の立場に立った親身な顧客対応により、数々の顧客サービスにおける神話を生み出してきた。小売業だけでなく、さまざまな異業種からもお手本とされる徹底した顧客サービスは、他の小売店にはないノードストローム独自の「企業文化」により生まれたものなのである。
同社では、販売員などの人材の採用時に、小売業での経験や大学卒といった資格に関する条件は特に設けていない。彼らが販売員を採用する際に一番注目しているのは、その人がいかに「感じのいい人」であるか。「スマイルを雇い、販売技術を教える」のがノードストロームの基本スタンス。販売技術を知っているかどうかではなく、人当たりがよいかどうかが重要視されるのだ。
近年は、他の小売業での販売経験者よりも未経験者の方が「顧客に対してノーと言わない」というノードストロームのポリシーを素直に受け入れやすいという理由から、未経験者を優遇する傾向にある。
同社では採用した従業員に対し、多くの企業が行っているような一定のトレーニング・プログラムにのっとった社員教育はほとんど行っていない。また何百ページにもおよぶ販売マニュアルもない。その代わり、社員には次のようなあるひとつのルールが与えられる。「ノードストロームのルール。当社ではいかなる場合でも決定するのは皆さん自身です。皆さんの優秀な判断力を駆使してください。それ以外、ノードストロームにルールはありません。迷ったときは、臆せず、いつでも、どんなことでも、直属のマネージャーに聞いてください」(『ノードストローム・ウェイ』より引用)。販売員を多くのルールや規則で縛り付けるのではなく、あえてひとりひとりに判断する自由を持たせることにより、彼らの想像力や独創性を顧客サービスや販売に生かすことを促進しているのである。
そして同社はこのような企業理念を、販売員が売り場で実行できるような体制、環境作りを推進している。ノードストロームの組織図は、図表1の通り逆ピラミッド型で表される。最上部には顧客、次が販売員、その下が売り場マネージャー、そしてこれらのすべてを支えるのが、ノードストローム一族を含む役員たちとなっており、通常の組織図とはまったく逆の図式になっている。この図からもわかるように、ノードストロームでは徹底した「顧客第一主義」が貫かれている。たとえば、レシートがなくても、またどんな理由でも無条件で顧客からの返品を受け付けるという無条件返品制度はその代表的な例である。したがって顧客と直接応対する販売員たちは重要な位置付けにあり、彼らには顧客対応に関する一切の決定権が与えられている。販売員は、顧客が特別な注文をしたり、価格に対して不満を言ってきた場合、いちいち上司にどのように対処すべきか、おうかがいをたてる必要はない。自分でその顧客が一番満足する方法を判断し、その通りに行動すればいいのである。規則やマニュアル通りの対応をするよりも、そのほうが各々の顧客がより満足でき、臨機応変な顧客サービスを提供できるというのが同社の考え方である。また、こうした販売員を支える売り場マネージャーにも、経費管理や社員の雇用、評価、解雇など、広範囲にわたる権限が与えられている。
このように売り場の販売員やマネージャーに多くの決定権と、大きな責任をもたせることにより、彼らはあたかも小さな店舗のオーナーのような意識をもち、顧客に接するようになる。このような社員の自発的な起業家精神を育んでいるのが、同社の企業文化。「顧客第一主義」という理念とそれを具現化する体制の一貫性が、数々の神話的顧客サービスを生んでいるわけだ。
ハイクオリティ・サービス・ハイインカム
同社は、1960年代に米国のアパレル業界ではじめてコミッション制を取り入れている。すなわち、よりよい顧客サービスを提供し、より多くの売り上げを上げたものが、より高い報酬を得るという、徹底した能力主義である。”Case in Strategic Management–6th edition”によると、1997年度のノードストロームの基本的な時給は、6〜9ドルで、それに6.5%〜10%のコミッションがプラスされるシステムになっている。コミッションは部門によって異なり、たとえばアパレル部門では6.5%、紳士靴は8.25%、婦人靴で9〜10%になっている。時給とコミッションを加算した、基本的な年間の支給額は、1年目の販売員で2万〜2万2,000ドル、3年目で約5万ドル、トップセールスで8万〜10万ドルになっており、他の百貨店と比較するとかなり高い額になっている。
もちろん多くの権限を与え、高い給与を支払う分、会社側の販売員に対する要求も期待も大きい。販売員は「売り上げ」でそのすべてを評価される。販売員、バイヤー、マネージャーは、1日、1カ月、1年ごとの、個人、部門、店、地域の売り上げの目標設定をそれぞれ課せられている。また、販売員たちは、勤務の交代時にまずマネージャーからその日の目標金額についてたずねられる。さらに2カ月に一度、すべての販売員の1時間単位の売り上げ高が、高い順に販売員の名前とともに各店舗ごとに公表される。3カ月連続で目標金額を達成できなかった販売員は、解雇されることもあり得る。同社では顧客サービスと販売実績の両面で高い水準を維持し続けなければならない。業績の悪い販売員は、こうしたプレッシャーに耐えられず、自ら同社を離れていくことも多い。また売り上げの数字は達成していたとしても、「顧客が要求することには、どのようなことでも誠心誠意をもって対応する」というノードストロームのやり方になじめない人や、ある程度決められたルールや管理の基で働きたいという人も、遅かれ早かれ辞める傾向にあり、離職率は約23%にもおよぶ。誰しもが同社の販売員に向いているわけではない。決断力と想像力をもち、顧客とのコミュニケーションや、顧客に奉仕することを何ものにも優る喜びと考え、販売自体を楽しめる人。売り上げのノルマからくるプレッシャーも逆にエネルギー源に変え、次々に新しいことを仕掛けていける、そのような独立したオーナー精神の持ち主が、同社ではスーパースターとなり得る。
もちろん、厳しい条件を生き残った優秀な販売員には、コミッション以外にも、さまざまなかたちで地位や報酬が与えられる。たとえば1年間に、所属部門で目標額、またはそれ以上を達成した販売員には「ペースセッター」の地位が与えられ、旅行や、33%割引のついた1年間有効のクレジットカードが送られる。またそのほか、さまざまなコンテストが行われ、顧客サービスなどの分野で優れた販売員には、現金やギフトが贈られる。
ホームショッピングへの取り組み
1990年代に入り、同社も競合他社同様、カタログ販売、テレビショッピング、インターネット、電子メールなどを利用したホームショッピングを開始している。ホームショッピングの展開方法でノードストロームが他社と異なっているのは、カタログやテレビ、パソコンなどの媒体を利用しながら、販売員と顧客とのコミュニケーション、すなわち「パーソナル・タッチ」を実現している点である。
同社では1993年に独立採算性をとるダイレクトセールス事業部を設立。1994年からはこれまでのような店舗宣伝用のカタログではなく、独自の販売ツールとしての通販カタログの送付を開始した。通販カタログでの販売は、数多くの競合他社でも行っているが、ノードストロームはここでも独自の顧客サービスを展開している。たとえば、顧客がフリーダイヤルで注文すると、一般的なオペレータではなく、パーソナル・ショッパーが注文を受け付けてくれる。彼らは通常のオペレータのようにただ注文を受け付けるだけでなく、商品に関する質問に答えてくれ、何か不都合があった場合には責任をもって対応してくれる。
また、「ノードストローム・パーソナルタッチ・アメリカ」という電子メールを利用したショッピング・サービスも1994年に開始している。顧客が電子メールで注文を送ると、それぞれの担当者(パーソナル・ショッパー)が72時間以内に対応する。そしてパーソナル・ショッパーは顧客からのさまざまな質問やリクエストにも答えてくれる。たとえば、店頭ではなかなか見つからないイレギュラー・サイズの靴でも、パーソナル・ショッパーに頼めば、いくつかの候補を選び出してくれるし、また、ギフト・アイテムに関するいろいろなアドバイスや提案もしてくれる。万が一届いた商品が気に入らなかった場合は、無料で商品を引き取りに来てもらうこともできる。
さらにまだ実験段階ではあるが、双方向テレビショッピングも一部で行っている。これはテレビ会議のシステムを利用し、ノードストロームの販売員(彼らもホーム・ショッパーと呼ばれる)と顧客が直接にやりとりする仕組み。テレビ画面にはさまざまな角度から商品が映し出され、顧客はテレビに向かって、パーソナル・ショッパーに質問したりすることも可能だ。
ノードストロームでは常に、“顧客とのコミュニケーションを図り、きめ細かい対応”すなわち「パーソナル・タッチ」を中心に据えて、上記のほかCD-ROMカタログなど、さまざまな技術を利用したホームショッピングを現在模索している。
*原稿の作成に当たっては、”Case in Strategic Management─6th edition”(Prentice-Hall, Inc.)、および『ノードストローム・ウェイ』(日本経済新聞社)を参考にした。
ノードストローム・パーソナル・タッチ・アメリカ(http://www.choicemall.com/nord2/index.html)