格式ある旅館がクラウドを導入 着物姿の仲居もタブレットを活用

(株)陣屋

神奈川県の鶴巻温泉で高級旅館を経営する(株)陣屋は、クラウド・サービスを利用し、予約情報管理や顧客情報管理など多機能の業務支援システムを構築。フロント、調理、客室など各担当を巻き込み、全社的な協力体制を敷くことで、高いサービス品質を実現し、年間の売上高を35%アップさせた。

旅館を切り盛りしてきた女将の記憶だけが頼り

 神奈川県の鶴巻温泉で高級旅館の「元湯 陣屋」を経営する(株)陣屋は、大正7年(1918年)の創業。鎌倉時代に幕府の御家人だった和田義盛公の別邸があったとされる敷地には、約1万坪の日本庭園が広がり、落ち着いた雰囲気が漂う。大正時代に三井財閥が財を投じて移築した豪華な迎賓室などを今に受け継ぐ和風建築の宿泊施設は、増改築を重ねた現在、客室は、露天風呂を併設する離れなど20室、収容人員は140人。レストランや宴会場、結婚式場、浴場を完備し、将棋や囲碁のプロタイトル戦で数々の名勝負の舞台ともなってきた。
 レストランの食事だけの利用も可能で、最近は豪華な会席料理の月替わりプランが人気。ブライダルの利用は年間40件程度で、送迎用の車両は英ロールスロイス社製の高級車。お客さまは、駐車場のある正門から日本庭園を抜けて施設に入るが、来客時に駐車場の係員が陣太鼓を叩いて迎える粋な演出もある。
 宿泊やレストランを合わせた利用客は年間延べ約3万人。旅行会社経由のツアー客は少なく、首都圏の個人客が中心でリピート利用が目立つ。従業員は約80人で、年商は約4億円に及ぶ。
 格式ある旅館を経営する同社が、接客における顧客データの活用をはじめとする多機能の業務支援システムの導入に踏み切ったのは、2010年のことである。
 旅館業は伝統的に、宿帳として、宿泊客の最低限の顧客データは管理するが、特定の顧客の接客に直結する具体的な情報はデータの形式で保有せず、旅館を切り盛りする女将の記憶だけが頼り。女将の力量や魅力が、旅館のサービスの質を大きく左右する世界だ。
 同社も創業以来、女将が主に常連客をもてなし、仲居や調理場に指示を出すことで初めて成り立つ経営スタイルをとってきた。ところが、先代の社長の健康上の理由などから、女将からの十分な引き継ぎもないまま、2009年10月に急きょ、経営を引き継ぐことになった現社長で4代目の宮﨑富夫氏は、従来とは異なる経営方法を模索せざるを得なかった。

必要な機能の要件を洗い出し開発や改善を進める

 宮﨑氏は、それまで自動車会社に勤務し、燃料電池の基礎研究に打ち込んできたエンジニア。新しい女将として迎えられた宮﨑氏の妻にも、旅館経営の経験はなかった。そこで宮﨑氏はサービスの質を維持すると同時に経営の効率化を図るため、業務支援システムの導入を検討。旅館やホテル向けに提供されている複数のソリューションの中から、比較的カスタマイズが容易なクラウド・サービスである(株)セールスフォース・ドットコムの「Salesforce Platform」の採用を決めた。2010年1月に1ライセンスの契約から利用を始め、宮﨑氏が自ら必要な機能などシステムに求められる要件を洗い出し、元システムエンジニアの従業員が深夜のフロント業務の傍ら開発の作業を担当。継続的に機能の拡充・改善を進めてきた。
 お客さまにきめ細かなサービスを提供するには、フロント、調理、客室など各スタッフの情報共有とチームワークが不可欠。システム導入には、全社的な協力体制の再構築を促す狙いもあり、スタッフ同士を「つなぐ」(コネクト)との意味を込めて、システムを「陣屋コネクト」と命名した。導入前は、PCを扱う従業員は一部に限られていたが、あえて従業員の勤怠管理の機能も陣屋コネクトに持たせることで、全従業員に利用を義務付け。現在は82ライセンスを契約し、それぞれの従業員が、PCやタブレット端末から、日常的に情報の検索・入力を行っている。

お客さまとのコミュニケーションを楽しむ余裕が生まれた

 具体的な活用方法は次の通り。
 予約の電話を受けたフロント係は、予約情報管理機能を使って予約内容を登録。この際、過去に利用があったお客さまについては、顧客情報管理機能で利用履歴などを呼び出して、料理やアルコール類の好みや食品アレルギーの情報、家族構成といった顧客データを確認。これらの情報も参考にしながら、適切な部屋や料理のプランを組み立てる。また、陣屋コネクトは、旅行サイト経由の予約について、自動的に予約情報を取り込む機能も備えている。
 客室係は、予約情報を参照しながら、次に利用されるお客さまの人数や宿泊目的などに応じて客室の調度品や備品をセッティング。フロント係や仲居は、チェックインの予定時刻や食事の希望時間などを確認しながら、お客さまを受け入れる態勢を整える。お客さまが到着されたら、常連客はもちろんのこと、初めてのお客さまでも予約情報を基に、可能な限り、お名前で呼び掛けるように努めているという。
 館内を頻繁に移動する仲居などの従業員は、勤務中、タブレット端末を携帯。お客さまから要望などがあれば、随時、登録し、滞在中の接客や、次の宿泊時の参考情報として活用する。ちなみにスマホの使用は、お客さまの目に私的な利用と映る恐れがあるため、原則的に認めていないという。
 料理のオーダーや宿泊料金などを管理するPOS機能もある。調理場では大型ディスプレイを設置して、オーダー内容などを確認。フロントでは、チェックアウト時の精算や会計業務に活用している。
 このように一連の業務をシステム的にバックアップし、かつ、社内SNS機能も利用することで、担当者間の連携が緊密となり、業務が効率化。以前のように担当間の連絡調整のためにスタッフが館内をせわしなく行き来する必要がなくなり、連絡の不徹底に起因するトラブルの防止にもつながっている。
 以前は女将の指示を仰ぐしかなかった仲居も、顧客データを基に自らの裁量でお客さまに対応できるようになった。その結果、仲居から「お客さまとのコミュニケーションを楽しむ余裕ができた」との声が聞かれるようになったことも大きな収穫だという。

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調理場ではディスプレイでオーダー内容や提供時間を確認(上)。着物姿の仲居は、帯の結び目に目立たぬようにタブレット端末を忍ばせる。同社ではコンパクトなi-pad miniを採用(右)

年間売上高は導入前の35%増 利益は従業員に分配

 多機能の業務支援システムである陣屋コネクトは、売上高や原価の管理機能も併せ持つ。客室単価(ADR)や、販売管理費を除く原価を売上高から差し引いた営業総利益(GOP)など、業界固有のKPIをモニタリングできるほか、客室の予約状況の推移をにらみながら売上高の最大化を図るレベニュー・マネジメント機能も設けている。こうした経営的な情報は、ごく一部を除き、閲覧機能を一般の従業員にも開放。同社ではGOPに連動して賞与が従業員に分配される賃金制度を導入していることもあり、経営に対する従業員の関心は高く、こういった情報開示がモチベーション向上にもつながっている。例えば、調理部門では、原価管理機能を使って廃棄ロスの削減に取り組み、導入前に比べ原価率を10%押し下げることに成功。また、現在は約12万人に上る顧客データの前述のような活用や、ブライダルの営業強化も奏功し、年間の売上高は導入前に比べ、実に35%もアップしている。
 また2012年には、セールスフォース・ドットコムとのパートナー契約の下に、陣屋コネクトを1ライセンス当たり月額3,500円で全国の旅館やホテルに提供する(株)陣屋コネクトを設立。サービスの向上には、従業員の接客スキル向上などソフト面の充実も欠かせないが、システムを普及する取り組みを通じてつながりのできた全国の旅館やホテルと情報交換をしながら、切磋琢磨する関係を築いていきたいとしている。


月刊『アイ・エム・プレス』2013年11月号の記事