すべての利害関係者と情報を密にするために
「スーパードライ」「黒生」など、多くのヒット商品を抱えるアサヒビール(株)。同社はナレッジマネジメントにより、顧客ニーズのスピーディーな反映、より鮮度の高い製品を市場に届けるスムーズな生産・物流体制を実現し、顧客満足度向上に大きく役立てている。
1998年12月、KMプロジェクトが発足。直接のきっかけは、近年の業務急拡大で人材が不足し、社員同士の情報交換や、得意先、顧客とのコミュニケーションが不足しがちになっていたことだった。たとえば、かつては20数名だった採用人数が、ここ数年は数倍に拡大。結果、社の中核を担う人材が不足し、日頃のコミュニケーションの中で、部下にビジネス知識を施すことが難しくなっていた。また業務拡大により料飲店などの得意先も増加。酒類販売業界の競争が激化する中、得意先は営業からの情報提供を強く望んでいるにもかかわらず、やはり人材不足により、これも手薄になりがちだった。さらに、鮮度が大切なビールにおいては、いち早く消費者に届けられる物流の品質もポイント。この点でサプライヤーなどとも密な情報交換が不可欠となる。
こうした問題を解決するため、同社はナレッジマネジメント導入を決定した。情報・知識の共有と活用により、組織力を強化。全社員が日常的にビジネス・ノウハウを教え合える、また得意先にも有益な情報を提供できる仕組み作りに着手したわけだ。つまり、同社のすべての利害関係者と情報を密にし、それを全社員で共有、活用することで、業務効率・品質の向上を図り、最終的に消費者の満足度を向上させる。それが同社のナレッジマネジメント最大の目的なのである。
モバイル・コンピュータで全社の頭脳を携帯
ナレッジマネジメントは総合品質本部のIT戦略部が推進する。しかし、決して導入当初から順調だったわけではない。社内用の啓蒙ホームページを開設してもほとんど活用されずに終わるなど、これまでには数々の試行錯誤を繰り返してきた。
そうした経験を活かして、昨年12月、「営業情報玉手箱」(以下、玉手箱)というイントラネットを開発したが、これが同社のナレッジマネジメントを急速に伸展させることとなったのである。
玉手箱とはその名の通り、同社の営業に必要な情報をすべて網羅した「営業部門のポータルサイト」。年次計画、販促スケジュールから、売り上げ・在庫情報、商品情報や営業ノウハウに至るまで、営業が活用すべき情報をすべて掲載。使い勝手も優れ、現在の同社にとって、なくてはならないものにまで発展した。
玉手箱の機能の中でも特に重要なものが「情報カード」。かつて同社では、営業が得意先などで有益な情報を仕入れると、各自が専用のカードに書いて上司に報告。上司は集まったカードの中から特に有益なものを選んで本社の営業本部に提出、データベース化する、という作業を行っていた。これは、その一連の取り組みをデジタル化したものだ。
営業は仕入れた情報をモバイル・コンピュータからメールで玉手箱に送信。するとダイレクトに、全件が玉手箱の「情報カード」コーナーに掲載される。ページ更新は約20分ごとと、ほぼリアルタイム。さらに営業部門にはデジタルカメラも常備されており、画像を添えて、より具体的な情報を送ることも可能だ。かつての紙ベースと異なり、送られたメール全件が掲載され、かつ、それらを全社員が閲覧できるため、豊富な情報の収集・共有という点で、大きく役立っている。しかし、最近ではメールの数が1日に約200件にも上るため、営業本部で最低限読むべきメールに「必読・オススメ マーク」を添付。情報活用の利便性を向上した。
さらに、営業を含めた全社員が、掲載されたメールに対してコメントを送信できる「コメント機能」を追加した。これは営業の現場において大きな威力を発揮している。
たとえば営業マンが、自分の経験や知識だけでは、得意先へのベストなアプローチ方法が分からない場合がある。そんな時「こういう場合、何かいい方法はないか?」 というメールを玉手箱に送信・掲載すると、それを見た全国900人の営業や、内勤の社員から、多くのアドバイスが短時間で届くのである。営業はそれを見て状況に適した方法を参照し、セールスに活かせるわけだ。まさにアサヒビール全社員の頭脳を携帯しているようなものだろう。さらに、こうして掲載された情報やコメントは、逐一、データベースに蓄積されていく。玉手箱において創出された全社員の知が、成功事例集として後々まで役立っていくのである。
ちなみに一般社員だけでなく役員クラスからコメントが寄せられることも多いという。「コメント機能」は物理的な壁だけでなく立場の壁をも超えて、社内コミュニケーションを密にすることに一役買っているようだ。
営業に必要な情報をすべて網羅した「営業情報玉手箱」。内容が充実しているだけでなく、優れた使い勝手も確保している
豊富な情報交換は、鮮度管理活動にも貢献
玉手箱と並び、柱となっているシステムが「クオリティコール」。これは、同社のお客様相談部に寄せられた顧客情報を、全社員が閲覧できる機能。最大の特徴は、顧客とお客様相談部員との対話を要約せず、逐一文書の形で記録・掲載していること。その狙いは、顧客の生の声を些細なことまで聞き逃さず、製品開発や営業に反映させることにある。
というのも、製品のカロリーに関する質問ひとつとっても、単に数値を知りたい場合もあれば、ご飯一膳と比べてどうなのか、など顧客の観点は実にさまざま。同社はそうしたひとりひとりの声を、きめ細かく汲み上げていこうと考えているのだ。問い合わせに対する回答も記録されており、営業にとっても顧客視点でセールストークを行うための貴重な情報源となっている。
また同社は、鮮度チェック体制を確立するために、全国の販売店の約1割に当たる約1万5,000軒の店頭情報を調査する「マーケットスタッフ」を全国に1,600名揃えている。スタッフは実際に店頭に赴き、置かれている製品の製造年月日、実売価格などを調べ、電話回線で送信する。実際に市場に出ている製品の鮮度、売り上げなどの生きた市場情報をチェックでき、営業部門の業務に役立てられる環境も整えているのだ。
まさに必要な情報をすべて共有、活用できるシステムが構築されているアサヒビール。もうひとつ注目したいのは、こうした社内情報、顧客情報、市場情報が、常に鮮度の高いビールを消費者に届ける「トータル・フレッシュ・マネジメント」にも貢献している点だ。
前述のようにビールは鮮度が大切な商品。特に時間経過は鮮度維持の最大の敵である。同社では出荷から店頭に並ぶまで、7日台を目標とし、かつ達成している。しかし、時間経過の要因は物流のみにあるわけではない。製品自体の人気によっても在庫期間が伸び、結果的に鮮度を落としてしまうことがあるのだ。
そこで同社は、特約店からの在庫・販売データ、販売店からのPOSデータに加え、前述したマーケットスタッフからの市場情報、営業からの情報カード、そして消費者からのクオリティコール、これらすべての情報をもとに製造計画をコントロール。適切な場所に、適切な量の在庫を配備し、物流をスムーズにすることで、常に新鮮な製品を消費者に届けることに成功しているのである。
独自のモデル構築が大きな成功要因
ITを駆使した同社のナレッジマネジメントは、情報伝達・共有の効率を大きく向上。意思決定のスピードをアップし、市場の動きへの俊敏な対応を実現した。最大の目標、顧客満足度向上への貢献度は計り知れない。同社のナレッジマネジメントを推進してきたIT戦略部部長、奈良篤氏は次のように語る。
「ビジネス環境は企業ごとに違います。その点でナレッジマネジメントを観念的な方法論に終わらせず、試行錯誤を繰り返して、『当社はナレッジマネジメントによって何を実現するのか、蓄積した情報をどう活用するのか』などを考え抜き、真に当社の環境にフィットする独自のモデルを作ったからこそ、今CS向上に大きく役立っていると思います。また、ナレッジマネジメントの本質は組織のひとりひとりが知の活用や創造に積極的になること。ナレッジマネジメントを玉手箱という具体的なかたちに落とし込み、社員が知を主体的に活用できる環境を作れたことも成功要因でしょう」
同社は「営業情報玉手箱」の成功を受けて、技術部門でも同様のシステム「技術部門知恵袋」を立ち上げた。また、各部門ごとに知を共有する「部門ホームページ」の作成も推進している。今後はグループ企業も含めてさらにナレッジマネジメントを推進。社内全員の知のレベルを向上させ、より効率的な経営に結びつけていく意向だ。