福袋考

2005年1月4日

 お正月になると、百貨店の福袋に行列ができる。
 友人Aは“福袋マニア”で、毎年、百貨店の営業開始日には、3つも4つもの百貨店を回って大枚をはたいて高額な福袋を手に入れ、山のような荷物を抱えて帰宅するのだという。
 私自身は福袋なるものは買ったことはない。いや、もしかしたら何十年か前に一度だけ買ったことがあるものの、大して感激するようなこともなかったので、記憶がないのかもしれない。
 この福袋について、友人Bから面白い話を聞いた。
 Bは何十年か前、百貨店に勤務しており、毎年、お正月になると、その百貨店の福袋を企画していたという、自称“福袋プロデューサー”である。Bによると、当時(多分、30年以上前のこと)の福袋は、仕入先企業の協賛により成り立っており、毎年、暮れになると、各仕入先に福袋用商品の協賛依頼に駆け回ったものだという。そして福袋に詰め込むことで、山のような在庫がものの見事に捌けていったというのだ。
 今は・・・というと、残念ながら正確なことはわからない。しかし、百貨店に限らず多くの業界で仕入先との関係が合理化されつつある気運の中で、恐らくは百貨店における福袋を巡る協賛の仕組みも、変わってきているのではないか、とのことであった。
 こうした日本的な非合理な商慣習は、どんどん壊すべきだ・・・とは思う。しかし、これをすべて欧米流の合理的な仕組みに置き換えたところで、全体最適が実現するかと言えば、正直言ってそれも疑問だ。
 同様の局面は、私たちの身近なところにもたくさんある。合理化すべきところを徹底的に合理化する一方、日本人がこれまでに培ってきた大切なことを見極め、それを尊重し、育んでいくことも大切であろう。だがその線引きは、一朝一夕にはいかない。
 そんな中、友人Aは今年も各百貨店の福袋を求めて奔走していたらしい。