石塚しのぶさんの新著 『アメリカで小さいのに偉大だ! といわれる企業の、シンプルで強い戦略』を読んで

2016年5月2日
この4月21日に、『ザッポスの軌跡 改訂版 ~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~』(廣済堂出版)の著者であり、月刊『アイ・エム・プレス』でも複数回にわたり連載をご執筆くださった、ダイナ・サーチ、インク 代表の石塚しのぶさんの新刊『アメリカで小さいのに偉大だ! といわれる企業の、シンプルで強い戦略』(PHP研究所)が発売されました。

本書は、石塚さんがかねてより提唱されていた「コア・バリュー経営」についての2冊目の著書。前著である『未来企業は共に夢を見る—コア・バリュー経営—』がどちらかというとマネジメント向けの書籍であるのに対し、本書では広く一般のビジネス・パーソンを対象に、コア・バリュー経営の理論から実践に至るまでを事例を交えてわかりやすく紹介しています。
石塚さんの新刊『アメリカで小さいのに偉大だ! といわれる企業の、シンプルで強い戦略』(PHP研究所)
石塚さんの新刊『アメリカで小さいのに偉大だ!といわれる企業の、シンプルで強い戦略』
コア・バリューとは、企業の核となる価値観。そして、石塚さんが提唱されるコア・バリュー経営とは、自社の存在意義(コア・パーパス)を明確にした上で、社内で共有すべき価値観(コア・バリュー)を定め、これを戦略的に仕組み化して全員で具現化することを通じて、企業文化へと昇華させる方法論のこと。

本書は、以下の6章から構成されており、1章ではザッポス、ジョワ・ド・ヴィーヴル、ベリル・ヘルス、ニックス・ピザ・アンド・パブ、テイスティ・ケータリングの5社の成功事例、2~4章でコア・バリュー経営についての知識、5章でコア・バリュー経営を導入するに当たっての具体的な方法論を事例を交えて解説。終章では本書を総括すると同時に、読者をコア・バリュー経営の導入へと誘っています。

第一章 アメリカの小さな巨人たち
第二章 偉大な企業の共通項、コア・バリュー経営とは何か
第三章 スモール・ジャイアンツを目指す—偉大な会社になろう
第四章 コア・バリュー経営のメリットと戦略的企業文化
第五章 実践! コア・バリュー経営
終 章 「偉大な企業」への道

本書第1章に掲載された米国のスモール・ジャイアンツの1社、ジョワ・ド・ヴィーヴル宿泊時にプレゼントされた飲料の容器。
本書第1章に掲載された「アメリカの小さな巨人たち」の1社、ジョワ・ド・ヴィーヴル宿泊時にプレゼントされた飲料の容器。
本書を一読して思ったのは、平易な表現を用いるとともに、米国の先進事例のみならず、日本国内の身近な事例を随所に織り交ぜて解説したことで、前著に比べて読みやすく、コア・バリュー経営何たるかがグンとわかりやすくなっているということ。この結果、私自身は、現代の企業環境におけるコア・バリュー経営の意義や、本サイトのテーマであるインタラクティブ・マーケティングとの関連性を頭の中でしっかりと整理することができました。

一言にまとめれば、前者(=現代の企業環境におけるコア・バリュー経営の意義)は、生活者の選択肢が広がっている今、自らの価値を問い直すことなしには、企業の発展はありえないということ。そして後者(=インタラクティブ・マーケティングとの関連性)は、インタラクティブ・マーケティングとコア・バリュー経営は、車輪の両輪だということなのですが、その詳細は長くなるので、また別の機会に譲りたいと思います。

この春、本書の発売直前にお目に掛った時、石塚さんは「米国にはコア・バリューを掲げている会社は以前から存在したものの、各社の企業文化は結果的に醸成されたものであり、コア・バリューの実践に向けて戦略的に醸成されたものではなかった。しかし今や米国では、社内の中間層が排除され、トップマネジメントと現場が直接つながるようになってきており、その時の仕組みとしてコア・バリュー経営が注目される」と語っておられました。

米国におけるこうしたムーブメントは、ヒエラルキー型の組織に固められた大企業ではなく、中小規模の企業によりリードされているとか。『アメリカで小さいのに偉大だ! といわれる企業の、シンプルで強い戦略』と題した本書の冒頭には、米国のビジネス誌『Forbes』がこの2月に「Best Small Companies in America」と称する ランキングを発表したことが記されています。

本書の書名に掲げられた「小さいのに偉大だ! と言われる企業」とは、まさにこのように「『大きくなる』ことではなく、『偉大な企業になる』ことを選んだ『スモール・ジャイアンツ』」たちのこと。大手企業の不祥事が次々と露呈し、往年の「ブランド」が朽ちていくのを見るにつけ、日本の企業にとって、これが海の向こうの話だと胡坐をかいていられる時間はそう長くはないのではないかという気がしてなりません。