山のような手土産とともに帰宅

2006年1月29日

しかし、昨日は長い1日だった。
4時半に起きて、5時半に家を出て、6時半の新幹線に乗って、
米原で8時半の北陸線に乗り換えて、9時半に敦賀について、
10時に親戚の家について、11時からの法要に参加して、
12時から納骨式に参加して、1時からお寺での法要に参加して、
2時からの食事会に参加して、終了後、魚市場をぶらぶらして、
駅前の丸海で親戚へのお土産を買って、
4時半過ぎの北陸線に乗って、5時半ごろに米原から新幹線に乗って、
7時半に東京に着き、8時半ごろに家に帰ってきた。
夜遅くまで起きていても、1日が長いとはそんなに思わないが、
朝、早く起きると、1日が2日分ぐらいに感じられる。
気が向いたら、どこか敦賀近辺の温泉にでも行こうかと
思っていたのだが、田舎の法要の手土産といったら、
都会人には考えられないような量で、
荷物が重くて重くて、とてもその気になれなかった。
ちなみに、お土産(こういう言い方でいいのか?)は以下の通り。
①創業寛政5年の紅屋の「敦賀銘菓」の詰め合わせ、
②創業慶応元年の不室屋の「加賀麩」の詰め合わせ、
③敦賀名産の油宇の厚生・農林大臣賞受賞の「蒲鉾」の詰め合わせ、
④商品券、
⑤つきたてのお餅、
⑥お供物のお裾分け。
⑥は、参列者が持参したお供物を、仏様に供えた後、
参列者全員でシェアする仕組みのようで、
ビニール袋の中に、さまざまな種類の和洋菓子や、
バナナ、リンゴなどの果物がばらばらに入ったもの。
(このリンゴとバナナが重いのだった・・・・・)
東京人の私は、「お供物」としてではなく、
「お土産」として「のし」を付けずにお菓子を持参してしまったので、
あ、次からはお供物として皆でシェアできる大量のお菓子を
持参すべきなんだ・・・と、ひとつ学習した。
父の故郷である敦賀での法要に参列するのはこれで4回目だが、
4回目でようやくこの仕組みを学習するとは、
我ながらあまりにトロ過ぎる話である。
振り返ってみれば葬式の時には、
生花に加えてお供物の籠が斎場の室内をぐるりと囲んであり、
天地1メートル以上もあるその大きな籠には、
サラダ油・マヨネーズ・から揚げ粉などの調味料や、
お菓子、果物などが詰め合わせられていて、
それを法要を手伝った人で分けるのだと聞いた。
そう言えば、葬儀のときにもお供物のお裾分けを持って帰ったっけ。
また、葬儀の時には、つきたてのお餅ではなく、
白玉粉で作ったお団子3個だったような気がするが、
今や記憶が定かではない。
加えて、叔父と叔母(父の妹)が立て続けに亡くなり、
ここ2年間に都合4回、敦賀での法事に参加しているものだから、
だんだんにそちら方面の遠い親戚に面(メン)がわれてきて、
今回は金沢に住む叔父の兄弟の息子や、
申し訳ないことに何度聞いても関係が覚えられない津市の夫妻から、
個別に各地のお土産をいただいてしまった。
⑦金沢・紫舟小出の「紫舟・三作煎餅」
⑧津・平治煎餅本店の「平治煎餅」
以上の8つの頂き物のお土産に加えて、昨日のブログに書いた、
このブログの読者へのプレゼント、会社へのお土産を購入したので、
魚市場で買ったものは送ってもらったにも関わらず、
倒れそうに重い荷物を担ぐことになったのである。
荷物は重かったが、このところ気がかりだった
月刊「アイ・エム・プレス」創刊10周年記念ビジネスセミナーと、
叔母の四十九日が終わって、少し肩の荷がおりた気がする。