南フランスお土産話③ 数日間の滞在を通して驚かされたこと

2016年3月5日
昨年のクリスマスに南仏はプロバンス地方のとある村を訪れ、知人の家で数日間を過ごした私。前回のコラムではその村での自給自足的な生活に触れましたが、今回の旅を通して私が驚かされたことは、こればかりではありません。そこでお土産話も最終回となる今回は、「数日間の滞在を通して驚かされたこと」と題して、そのいくつかをご紹介したいと思います(これらはあくまでも私の限られた体験の中で実感したことであり、南仏における普遍的な習慣かどうかは定かではありません)。

その1 国民1人当たり面積は日本の約3倍 だからなんでもデカい?

日本とフランスの面積を比較すると、日本の約37万7,915㎢に対し、フランスは約55万1,500㎢なので、フランスの面積は日本の約1.5倍。日本とフランスの人口を比較すると、日本の約1億2,706万人に対し、フランスは約6,392万人なので、フランスの人口は日本のおよそ半分(いずれも2014年現在)。1.5倍の国土に半数の人々が住んでいるわけで、国民1人当たりの面積では、フランスは日本のおよそ3倍という計算になります。

パリから南仏に向かう列車の窓から見える景色は、どこまで行っても大草原が続く
パリから南仏に向かう列車の窓から見える景色は、どこまで行っても大草原が続く


こうした環境に恵まれたフランスの住宅は、日本のウサギ小屋と比べるとかなりの広さです。私が宿泊した知人の家は3寝室で、部屋の数こそ取り立てて多いわけではないのですが、それぞれにシャワーやトイレが付いているので、寝室の広さがマンションのLDK並み。おまけに地下には食品貯蔵庫があり、数十本と思しきワインがストックされていたりするので、床面積はかなりの広さと思われます。こうした住環境を反映してのことなのか、フランスの家庭用品は日本に比べると大き目。バスタオル1つを採っても、日本の1.5~2倍はあると思しき超ビッグサイズっぷりに圧倒させられました。

フランスのバスタオルは日本の1.5~2倍のビッグサイズ。隣に掛けられたバスローブと比べると、その大きさがわかる
フランスのバスタオルは日本の1.5~2倍のビッグサイズ。隣に掛けられたバスローブと比べると、その大きさがわかる


その2 食品・家庭用品の家庭内在庫が滅茶苦茶多い

2番目に挙げたいのは、私がお世話になった知人の家には、パリ、南仏ともに、戸棚に収まりきらないほど大量の食品・家庭用品がストックされていたということです。写真は南仏の知人の家のパンドリーですが、コーヒーや紅茶・日本茶・ハーブティーといったお茶の類から、ジャムやピクルスなどの瓶詰、菓子類、そして各種調味料・香辛料がギッシリと並べられており、食事の準備を手伝おうにも、ゲストの私にはいったい何がどこにあるのか、見当もつかないありさまでした。

このように大量の商品がストックできるのは、前述の通り、日本に比べて住まいが広く、たくさんの家庭内在庫を抱えるスペースがあるから。また、私が訪れた南仏の村では商業施設が限られており、週に1回程度、車で20~30分の大型スーパーでのまとめ買いを強いられるという当地のショッピング事情とも無縁ではないでしょう。加えてジャムや調味料などの一般食品のバリエーションも日本に比べて豊富。「さしすせそ」と呼ばれる調味料でかなりのメニューがカバーできる日本とは、その辺りの事情も大きく異なるのかもしれません。

知人の家のパンドリーには、さまざまな食品が所狭しと並べられている
私がお世話になった知人の家のパンドリーには、さまざまな食品が所狭しと並べられている


その3 夕食は家族全員で準備する

3番目に取り上げたいのは、下ごしらえから、調理、取り分け、テーブル・セッティング、そして食後の片付けに至るまで、夕食にかかわる家事プロセスが、家族全員の参加により成り立っていたということです。中でもクリスマスなどハレの日では、前日の食事時に母親がリードするかたちで家族全員の希望を尋ね、食品の家庭内在庫も勘案した上で、いわば“民主的”にメニューが決められていたことが印象に残りました。

具体的にどのように分担されていたのかと言うと、その家では、自分たちで仕留めたイノシシやカモ、ツグミ、あるいは卵を産まなくなった鶏を自分たちで締めるといったかたちで肉類を調達していたこともあり、肉の調達と下ごしらえは夫、調理は妻、取り分けは夫。そしてその傍らでは、子供たちが母親の指示に従って、テーブル・セッティングを行うといった具合です。

夕食は家族全員の手を借りて準備される
夕食は家族全員の手を借りて準備される


その4 古いものを大切にする

また私は、今回の旅路を通して、フランス人が古いものをいかに大切にするかを改めて痛感させられることになりました。ヨーロッパの街には古い石造りの建物が残されていることは広く知られていますが、私が訪れた南仏の村も、中心部に石造りの古い家々が立ち並び、その周辺を新しい家並みが取り囲む格好で構成されていました。

私が泊まった知人の家は、そもそもは17~18世紀に建てられたと思しき建物に幾たびかのリフォームを施したもので、鎧戸が取り付けられた窓、ツタのようなデザインの金属製の階段の手すり、寝室やトイレなど一部の部屋の床材が、建築当時の面影をそのままに残していました。知人がこの物件を手に入れたのは数十年前のことですが、それ以前にいったい誰が、どんな用途でこれを用いていたのかは、本人も正確には把握していないようです。

私が泊まった部屋の窓には、鎧戸のみならず、内側に石の火鉢のようなのものが取り付けられていた。用途は誰も知らない
私が泊まった部屋の窓には、鎧戸のみならず、内側に石の火鉢のようなのものが取り付けられていた。用途は誰も知らない


石造りと思しき急な階段には、蔦のようなデザインを施した金属製の手すりが付けられていた
石造りと思しき急な階段には、蔦のようなデザインを施した金属製の手すりが取り付けられていた


その5 南仏のクリスマスは意外に地味だった

最後に挙げたいのは、クリスマスの祝い方です。日本の一般的な家庭でクリスマスが祝われるようになったのは、1980年代ぐらいからでしょうか。1983年には東京ディズニーランドが開園し、第1回クリスマスファンタジーが開催されたそうですが、以降、日本のクリスマスは、宗教とは別のところで、年々、派手さを加えてきた感があります。一方で、カトリックの国であるフランスのクリスマスは、意外なほど地味。ましてや南仏の小さな村のクリスマスは、イルミネーションもツリーもびっくりするほどに質素で、クリスマス・イブには満天の星空の下、辺りは静けさに包まれていました。

村の広場に置かれたクリスマスツリーは、東京の街中のそれとは大違い。クリスマスの本来の姿を思い出させてくれる
村の広場に置かれたクリスマスツリーは、東京の街中のそれとは大違い。クリスマスの本来の姿を思い出させてくれる


さらに、24日のクリスマス・ディナーのメニューが前日にようやく決められたかと思えば、プレゼントも日本のように高価格なものではなく、本やカジュアルウェア、トイレタリーなど、低価格であっても贈り主のエスプリが感じられる品々。また、私が訪れた南仏のプロバンス地方では、12使徒にキリストを加えた13種類のお菓子や果物を用意する習わしがあるのですが、日本であれば何日も前から準備しそうなところ、24日になって、食料品の大量の家庭内在庫の中から、フレッシュフルーツやドライフルーツ、さらにはチョコレートやクッキーなど計13種類を家族総出で選び出していたのが印象的でした。

プロバンス地方では、クリスマス・イブに、12使徒にキリストを加えた13種類のお菓子や果物を用意する。写真中央奥に見えるのは、私が日本から持参したきなこ菓子
プロバンス地方では、クリスマス・イブに、12使徒にキリストを加えた13種類のお菓子や果物を用意する。写真中央奥に見えるのは、私が日本から持参したきなこ菓子


以上、私が今回の旅行を通して驚かされたことを5つにまとめてご紹介しましたが、このうち国土面積や人口に起因する部分があると思われる1、2は横に置いて、3~5については、いろいろと考えさせられるところがありました。欧米に比べると夫の家事参加時間が限られている日本、古い建物は壊して新しく建て替えがちな日本、欧米からやってきたクリスマスやハロウィンをともすれば欧米以上に派手派手しく演出する日本・・・。南仏の小さな村の生活には、日本の都市部に住む私たちが、忙しさにかまけて忘れかけている生活の本質が隠されているような気がしました。

3回にわたり披露してきた南仏のお土産話はこれにて終了。今回はオリーブの収穫シーズンに合わせてクリスマス時期に訪れましたが、数年後には、夏のトマトの収穫シーズンにこの村に再び足を運んでみたいと思っています。その時には、また続編を皆さまにお届けできれば幸いです。