ペルーお土産話① ペルー視察の経緯と目的

2018年12月16日
去る2018年11月1日から11日までの10泊11日で、南米はペルーに行ってきました。日本からペルーへの直行便はなく、米国やカナダ、ヨーロッパの空港で乗り換える格好。私はユナイテッド航空(UA)で成田からヒューストンに向かい、ヒューストンで南米系のラタム航空に乗り換えてリマのホルヘ・チャベス国際空港に降り立ちました。所要時間は乗り継ぎ時間を含めてはほぼ丸一日。つまり、10泊のうち往復の移動に含まれる2泊は機中泊で、残りの9泊をペルーで過ごしたというわけです。

私がUAを選んだのは、日本の航空会社の場合は乗り継ぎ時に荷物を預け直す必要があるため。つまりは、日本の航空会社の“安心感”と荷物を預け替える“手間”を天秤に掛けた結果、米国系の航空会社を選択することにしたのです。おかげで、ヒューストンの空港での行列には辟易したものの、空港内の移動はラクラク。ラタム航空の座席に身を沈めて一息つくと、南米人とおぼしきキャビン・アテンダントによるどこか陽気なサービスに、ペルーに行くんだという実感がこみ上げてきました。

ペルーに行ったと言うと、それが南米の国であることは知っていても、南米のどこに位置するかをきちんと把握している日本人は意外に少ない
ペルーに行ったと言うと、それが南米の国であることは知っていても、南米のどこに位置するかをきちんと把握している日本人は意外に少ない
南半球に位置するペルーの季節は日本とは真逆。すなわち11月は初夏に当たり、観光シーズンも終わりに差し掛かったところ。地域による気候の差は大きいものの、リマは1年を通して温暖で過ごしやすく、11月は日本とほぼ同じ服装でOKと聞いていたものが、実際に訪れてみれば日中は汗ばむほどの陽気で、半袖シャツを買い足すことに。一方、雨が少ないというのは事前情報の通りで、1回だけ小雨に降られたものの、持参した傘やポンチョは1回も使わずじまい。地球の反対側ともなると、想定外の事態も1回や2回ではありません。

今回の旅の目的はオフとオンが7対3ぐらい。オフでは、マチュピチュのほか、ナスカの地上絵、ミニガラパゴスの異名を持つバジェスタ・アイランドなどを見学したほか、リマとクスコの市内を観光。オンでは、現地のマーケティング・コンサルタントにペルーにおけるダイレクトマーケティング事情について、日系人の団体に日本からの移民の歴史と現状について、それぞれインタビューしたほか、今回の視察に当たってお世話になった日系の企業グループ各社への訪問、日系のスーパー、レストランの視察などを行いました。

そもそも私がペルーに行くことになったのは、月刊『アイ・エム・プレス』2009年11月号でキョウダイグループの代表 木本結一郎さんをインタビューさせていただいたのがきっかけ。木本さんには、その後もダイレクトマーケティングの勉強会で講演をお願いしたりとお付き合いが続く中で、ペルーに行かないかとお誘いいただき、その重層的な文化や日本との関わりの深さに惹かれていつか行ってみようと思っていたのですが、とにかく往復に2日を要するだけになかなか踏み切れず、最初にお声がけいただてから9年を経て、ようやく思いを実行に移すことになったのです。

キョウダイグループは、1990年の「出入国管理及び難民認定法」の改正・施行を機に、日系ペルー人、ブラジル人就労者の受け入れが増加したことに伴い、ペルーにある日系人の信用組合3社が、日本で働く日系3世、4世等を支援しようと立ち上げた企業群。当初は在日ペルー人、ブラジル人を主対象に、低コストでの海外送金や、南米商品・サービスの店舗&ECによる販売などを手がけていたのですが、2010年4月の「資金決済に関する法律」の施行を受けて、グループのウニードスが資金移動業として登録。以降、「キョウダイレミッタンス」のブランドの下、南米に止まらず、日本に居住・就労する多くの国の人々の郷里への送金を支援するに至っています。(注1)

今回のペルー視察の企画は、出発の半年ほど前に新大久保にあるキョウダイレミッタンスのオフィスに木本さんをお訪ねし、現地情報を収集したところからスタート。国際航空券こそ自力で手配したものの、取材先は木本さんにご紹介いただくは、グループの大株主であるペルーの信用組合、Cooperativa Pacifico CEOの大内田アルマンドさんには公私ともにお世話になるは、ペルー国内の観光はキョウダイの現地法人に手配していただくは、同グループの方々にはお世話になりっぱなし。具体的なお土産話をお届けするのに先駆けて、まずは木本さんをはじめ関係者の皆さまに心から御礼を申し上げます。

注1:キョウダイグループについては、月刊『アイ・エム・プレス』2009年11月号のトップインタビューで取り上げたほか、同誌2014年3月号の特集「多文化共生時代の外国人対応」のケーススタディでも取り上げています。