ネット通販の宅配問題を機に日本型サービスの行方を考える

2017年4月15日
ネット通販の躍進に伴い、宅配サービスにかかわる議論が活発化しています。最大手のヤマト運輸では、宅配便の取扱個数が増える傍らで単価の下落傾向が継続しており、これに人手不足に伴う求人費用や外部委託費などの増加が追い打ちを掛ける形で業績を悪化させているそうです。こうした中、当日配達に象徴される配送リードタイムの短縮への取り組みや、無料での再配達の実施など、顧客サービスにかかわる問題が次々にクローズアップされ、業界関係者はもちろん、一般生活者にとっても、サービスのあるべき姿を改めて考えさせられる機会となっています。

通販会社における顧客サービスの問題がクローズアップされたのは今回が初めてというわけではなく、カタログ通販が主力だった1990年代にも同様のことがありました。当時はこの分野への新規参入が一段落し、市場が成熟の兆しを見せ始めていた時期。これを受けて、顧客サービスによる差別化を旗印に受注時間帯の拡大や配送のリードタイム短縮、返品・交換サービスの改善などに取り組む企業が増加し、顧客サービス競争とも言うべき状況を呈していたのです。こうして考えてみると、ネット通販の勃興から20年余りを経て、1990年代にカタログ通販が経験したサービス競争が、ネット通販においても繰り広げられるようになったと言えるでしょう。

そして、このような顧客サービス競争とも言うべきフェーズに突入するとクローズアップされるのが、サービス提供に要するコストの問題です。現在も、特に急がない場合にも短納期を実現することで無駄なコストが発生しているのではないか、あるいは、再配達のコストは顧客側が負担すべきではないかといった議論が戦わされていますが、これに配達員による長時間労働といった要素を加味すると、今回の問題は、顧客との関係性のみならず、従業員との関係性をも含む、日本的経営の根幹にもかかわる奥深い問題のように思えてきます。

先日、数年間にわたり日本に暮らす米国人女性のFとの会話の中でこの話題を持ち出してみたところ、日本の顧客サービスは米国では考えられないほどに優れているものの、ある意味、過剰サービスに陥っているのではないかという指摘を受けました。Fによると、米国のネット通販では総じて日本よりも配送のリードタイムが長く、かつ配達日の指定ができないケースが多いことに加えて、配達時に留守だった場合には荷物を玄関ドアの前に置き去りにするのが当たり前だとか。後者については、荷物が紛失した場合、企業側はいっさいの責任を取らないことが前提となっているそうです。

通販商品の宅配をめぐる今回の問題は、“おもてなし”に象徴される日本型サービスの未来に立ち込める暗雲を示唆しているかのように感じられます。日本型のサービスを守っていくためには、まずはそれぞれの企業が収益性のあるビジネスモデルを構築することが大前提であり、サービス提供のしわ寄せが現場の従業員の長時間労働に帰結するような事態は避けなければなりません。そしてサービスにおける全体最適を模索する上では、不必要なサービスをそぎ落とす、あるいは一部のサービス・コストを受益者負担に切り替えるといった選択も視野に入れなければならないでしょう。

今回の問題を受けて、国内の関連業界ではすでに一部サービスの見直しや有料化、宅配ロッカーの増設などが検討されていますが、今のところ、米国の宅配会社のように荷物を玄関先に置いてくるといった対策は聞いたこともなければ、日本人である私自身の感覚としてあり得ないというのが正直なところです。しかしFによると、彼女の米国に住む友人・知人たちの間では、玄関先に置き去りにしたことで荷物がなくなったなどという話は聞いたことがないとのこと。ましてやここは日本なのだから、荷物がなくなるわけがないと言われると、思わず返答に窮してしまう私なのでした。

初回配達時に荷物を受け取るとポイントを付与するなど、公正なサービス提供に向けてポイントプログラムの活用を検討する企業もあるが、Fに言わせると、これは「いかにもアジア的な感覚」らしい(写真のカードはイメージです)
初回配達時に荷物を受け取るとポイントを付与するなど、公正なサービス提供に向けてポイントプログラムの活用を検討する企業もあるが、Fに言わせると、これは「いかにもアジア的な感覚」らしい(写真のカードはイメージです)
住宅やマンションなどへの宅配ロッカーの設置が加速している
住宅やマンションなどへの宅配ロッカーの設置が加速している
※このコラムの投稿日である2017年4月15日付けの日本経済新聞朝刊で、まさに中国においても類似の宅配危機が発生し、宅配荷物の遅配・紛失が問題になっている旨が報じられていました。