ルディー和子さんの新刊「ソクラテスはネットの『無料』に抗議する」を読んで

2013年3月20日

マーケティング評論家、ルディー和子さんの新刊はもうお読みになっただろうか。
日経プレミアシリーズの 「ソクラテスはネットの『無料』に抗議する」 である。
何ともエキセントリックなタイトルだが、
本書のカバーには、下記のように記されている。
「書き言葉が知性を衰えさせる、「フリー」が贈与の法則を破壊する・・・。
古代ギリシアの哲人なら、ネット社会・ビジネスをどう見るのか。
広汎な知見から、現代人が抱える歪みや危うさを考える知的読み物。」

本書は、以下の6章から構成されている。
第1章 文字が人間の頭を悪くする
第2章 ソクラテスが「無料」に抗議する理由
第3章 21世紀と20世紀の「フリー」は本当に違うか
第4章 フェイスブックは贈与の法則を破ったのか
第5章 人間はなぜ言葉にだまされるのか
第6章 人間はデジタル社会に、デジタル社会は人間に適応できるか
表紙カバーに記された通り、まさに広汎な内容だが、
筆者が本書を執筆するに至った動機は、ネットの登場により、
世の中に“フリー(無料)”が氾濫していることへの問題提起にある。
無料サービスを提供する企業の多くは、広告モデルにより収入を得ているが、
利用者の大半はこうしたビジネスの仕組みを理解せずにサービスを享受し、
いつしか対価を支払うことなく何かを手に入れられることが
当然だと考えるようになってきていると警鐘を鳴らしているのだ。
本書では、レシプロシティ(Reciprocity)をキーワードに、
この“フリー(無料)”の問題に切り込んでいる。
レシプロシティとは、人間関係においてお互いに(良きも悪きも)同等に分け合う
互恵性のことであり、古代ギリシアでは正義であり徳であると言われてきた。
そして、本書のタイトルにも取り上げられているソクラテスは、
誰よりも、このレシプロシティを大切にする人物だったという。
しかし、ネット・ビジネスにおけるサービス提供者と利用者の間には、
必ずしもレシプロシティの関係が存在しない。
だからソクラテスもこれを問題視するに違いないというのだ。
筆者は、ネット・ビジネスにおける無料サービスを、
無料客を有料客に転換させることで収入を得るゲームのような仕組みや、
すべての人々に無料で開放されているウィキペディア、
グーグルやフェイスブックのような広告モデルのサービスに分類した上で、
2つ目の無料は本来の意味でのフリーだが、
1つ目と3つ目は本質的には無料ではないと主張する。
1つ目は“無料試用”などの形で昔からあるオファーのひとつであるが、
3つ目については、広告モデルのビジネス自体は昔からあるものの、
ネット・ビジネスにおいては、民放のテレビやラジオと異なり、
無料サービスを享受する見返りとして、
個人のデータを提供することになる点が大きく異なるというのだ。
つまり、3つ目の企業では、検索など無料サービスの提供を通じて
収集した人々のデータを活用することで、
広告のターゲティングを精緻化し、より多くの収益を上げている。
しかし、受け手の側は、誰かに説明されない限り、
自分のデータが活用されていることを把握することはできない。
この問題について、さまざまな考察を経て、筆者は次のように結論付けている。
「・・・企業が個人データと交換にサービスを提供していることを、
データの元の所有者に明言しないのはおかしい。
また、利用者が、『プライベートなデータは渡したくない、
でも、便利で楽しいサービスは享受したい』と言うのも、
経済的に見ても、歴史的に見ても、通用する論理ではないのです。」
そして筆者は、この問題はレシプロシティの観点から考えるべきであり、
利用者がサービスの利用料金をお金で支払うにせよ、自分のデータで支払うにせよ、
企業はデータの価値を明確にするべきだと主張。
さらに、こうしたネット・ビジネスにおける無料の氾濫が、
人々を無料に慣れさせ、「売り手に対して適切な代償を払う」という互恵性、
すなわちレシプロシティの良い面が失われてきていることに警鐘を鳴らす。
ところで、私たちが企業に個人のデータを提供する機会は、
オンライン&オフライン双方の通信販売で商品・サービスを購入する、
店頭でポイントカードを提示して商品・サービスを購入する、
コールセンターに電話やネットで問い合わせをする、
サンプル請求や資料請求、さらには懸賞などのキャンペーンに応募する、
Webサイトにアクセスして情報を収集する
(そこでは広告のお世話になることもあるかもしれない)、
さらにはソーシャルメディア上にコメントや何らかのサインを残すなど、
かつてとは比べ物にならないほどに増加している。
これこそがビッグデータの時代の大前提である。
ビッグデータの時代が到来したことで、
より多くの個人のデータに基づく商品の開発・改善が可能になる、
あるいは、個人のより深いデータに基づきより適切な広告を表示したり、
適切な商品・サービスを提案したりすることができるようになることは、
顧客起点のマーケティングという観点からは好ましいことと言えるだろう。
しかし、私が発行人を務める月刊『アイ・エム・プレス』が
過去に何度か行ってきた調査結果によると、
生活者の個人情報に関する意識は、
個人情報保護法施行前後に一気に高まった後、
一時期、低下傾向にあったものの、ここに来て再び高まりを見せているようだ。
実際問題、アイ・エム・プレスが2012年3月に行った調査(N=1,632)において、
企業に個人情報を渡すことについての考えを複数回答で選択してもらった結果、
「自分が欲しい情報/商品は自分で探すので、
企業からの情報提供は一切してほしくない」とした回答者は23.8%を数え、
2010年調査の14.6%から10ポイント近く増加している。
一方で、同調査結果より、どのような場合であれば、
生活者は企業に個人情報を提供してもかまわないと考えるのかを見てみると、
「個人情報がきちんと保護され、適切な利用がなされるのならば、
個人情報を渡してもかまわないと思う」とした回答者が24.2%、
「プライバシーマークや情報セキュリティマネジメント規格などの
認証を取得している企業であれば、個人情報を渡してもかまわないと思う」が15.1%、
「自分が信頼している企業なら(以下、同上)」が11.4%、
「自分にとって適切な情報を届けてもらうには(以下、同上)」が10.9%で、
いずれも10%を上回っている。
この調査結果は、企業による個人情報の活用に抵抗感を持つ人が
4人に1人ぐらい存在し、かつ、増加している一方で、
適切な利用がなされるのであれば、換言すれば、
前述したような顧客起点のマーケティングのためであれば構わない、
と考える人も一定数存在することを示していると言えそうだ。
しかし一方では、「個人情報がきちんと保護され、
適切な利用がなされるのならば、個人情報を渡してもかまわないと思う」、
「プライバシーマークや情報セキュリティマネジメント規格などの
認証を取得している企業であれば、個人情報を渡してもかまわないと思う」は、
いずれも2010年調査より10ポイント近く減少しており、
ここにも生活者の個人情報への意識の高まりが影を落としている。
前述の通り本書では、「企業が個人データと交換にサービスを提供していることを、
データの元の所有者に明言していないのはおかしい」と主張している。
そうした行為に問題があることは論を待たないが、
では、「あなたのデータを・・・・・・に活用する見返りに、
あなたはこのサービスを無料で利用することができます」と言われて、
その詳細を理解する気になる生活者はどれだけ存在するのか、
あるいは理解できる生活者がどれだけいるのか、
さらには、そもそも個人データの活用が本書に記されている
“レシプロシティ”として生活者に受け止められる条件はどこにあるのかなど、
本書が投げかける議論は、「ソクラテスが抗議する」であろう
「ネットの『無料』」を越えて、果てしなく広がっている。
こうしたカバー範囲の広さと、
これを支える著者の知見の広汎さからやや難解な部分も否めないが、
「ネットの『無料』」に頭を抱えておられる方々はもちろん、
今やインターネットと無縁では存在し得ない企業のマーケティング担当者、
ビッグデータを支えるインフラやIT企業の方々には、
自らの立ち居地を振り返り、今後の方向を模索する上で、
必読書と言えるのではないだろうか。